白河の関

  白河の関は、白河駅から南東に約12km。5世紀頃に蝦夷の南下を防ぐ砦と
して設けられた。歌枕の地としても有名である。現在は、白河の関跡地の横に
白河関の森公園が出来ている。広い公園の敷地に関所の検問所、古代遺跡
発掘の竪穴住居群、芭蕉の像、相撲部屋などがある。


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 いろいろと史跡がある。奥の細道碑、川柳碑、古歌碑、古跡跡碑、白河神社
など。白河神社の参道の駐車場に車をを止め、神社に参拝した。さすが年代も
のの神社、神官もいない朽ち果てたような歴史の古さを示す神社だった。
参拝の
作法が掲示して有ったので作法どおりに参拝をした。

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 勿来、念珠とともに、奥州三古関の一つとして知られる。5世紀頃に、蝦夷の
南下を防ぐ砦として設けられたといわれている。 後に交通検問所となり、辺境の
歌枕の地として多くの歌人にうたわれた。 この地を訪れた人々には、能因法師
西行、芭蕉などが有名。それぞれ味わい深い歌を残している。私たちもあまり有
名ではないが、この白河の関を訪れた一員となったわけだ。なにか味わい深い歌
を作ろうと思ったが、思いつかなかった。


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幌掛けの楓
源義家が安部貞任攻め(前9年の役)のため白河の関を通過する時、この楓に
幌を掛けて休息したと伝えられる。

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古歌碑(平兼盛、能因法師、梶原景季)
「白河の関」に題材をとる平安時代の著名な和歌三首を歌碑としたものである
平兼盛(?〜990)
「便りあらば いかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと」(拾遺和歌集)
三十六歌仙の一人、平兼盛が奥州に下り歌枕の白河関を越えた感激を都の知人
にどうやってしらせようかと詠んでいる。

能因法師(988〜?)
「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく白河の関」(後拾遺和歌集)
風狂数奇の歌人、能因法師が奥州に旅した際、白河関で詠んだ歌。都と白河の
距離・時間を詠み込んだ著名な歌である。

梶原景季(1162〜1200)
「秋風に 草木の露をはらわせて 君が超ゆれば関守もなし」(吾妻鏡)
源頼朝(1147〜99)が、文治5年(1189)7月29日、奥州平泉の藤原氏を攻める
途上、側近の梶原景季が、白河関の社殿で詠んだものである。

空堀跡
空堀は敵の侵入を防ぐため、曲輪に沿って掘られた防御施設である
土塁跡
土塁は、敵の攻撃や侵入を防ぐため、曲輪の縁に土を盛って築いた堤上の防御
施設である。
空堀跡や土塁跡から見た白河神社

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居住地区
白河関検問所
福島交通のバス停
1日4往復の運行なので確認してください。
観光タクシーも利用できます。