奥の細道

奥の細道の入り口です
 久しぶりに「白河の関跡」を訪れる。 関東地方と別
れ東北・福島の地に入るここからが「奥の細道」だ。
心身ともに引き締めてゆこう。
奥の細道です
 芭蕉も「心もとなき日数重るまゝに白河の関にかゝりて
旅心定まりぬ」といっている。 「ここまで来てようやく長
旅をする決心がついた」といっているのである。
また古人たちが、関東の最北、東北の入り口である、こ
の関を超えるにあたって、感慨をこめた歌をそれぞれ残
して
いっている。
芭蕉のみちのく二人旅
 芭蕉はそのような古人の思いを心に描きながらこの白
河の関跡を訪れているのだ。今でも東北と言うと、関東
以西を思い浮かべ、また旅をするのと違った、神秘的、
未知の世界を思い浮かべ、心を躍らせるのは私だけだ
ろうか。
拡大図
芭蕉にも会えます(銅像ですが)
 この県境は栃木県と福島県である。ここでおかしなこと
にきずいた。栃木県側は黒磯や黒田原と地名に黒が付
いている。
 福島県側は白坂や白河と地名に白が使われている。
これは偶然なのか・・・・、
昼間も太陽の陽射しをさえぎります
 芭蕉が「白河の関」を訪れた時、「白河の関」は、この
陸奥街道また奥州街道の関東から白河藩に入ったとこ
ろにあった、ということしかわかっていない。
 定信が「白河の関」を定めたのは、芭蕉から100年以
上後になってからである。
静寂が過去の入り口です
 曽良は日記の中で「古関を尋て白坂ノ町ノ入口ヨリ
右ヘ切レテ旗宿ヘ行」と書いているから、「白河の関」
を目指して、旗宿まで行っていることは確かである。
 白坂から旗宿までは、私の歩いて来た道を反対に
歩いている。
 しかし旗宿に泊まった翌日「町ヨリ西ノ方ニ・住吉・玉
島ヲ一所ニ祝奉宮有。古ノ関ノ明神故ニ二所ノ関ノ名
有ノ由、宿ノ主申ニ依テ参詣。 」とあり、宿の主人に古
関の所在を尋ねたところ、「境の明神」が「古関」と教え
られ、また白坂に戻って、明神を参詣したのである。そ
の足で「関山満願寺」に参詣するため、再度、旗宿まで
戻ったのである。7〜8kmの道を行ったり来たりしたの
である。
巨木樹齢?年
 鎌倉時代初期の歌人・藤原家隆が手植えし奉納したと
伝えられる、杉の老木。
 樹齢800年・周囲およそ5mの巨木。
近代的な水車小屋
今でこそ田圃と山しかない風景とはいえ、道路は整備さ
れている。芭蕉はどんな気持ちで同じ道を何度も歩いた
のだろう。
 
近代的な建物も(天体観測所)
 金売吉次、奥州平泉の発展に力を尽くした人物であり、
義経の生涯に大きく貢献した人物でもある。私は昔読ん
だ物語のイメージから、金売り(かねうり)と言う言葉から
ずるがしこい人間のイメージを持っていた。しかし実際は
奥州で採掘した砂金をもって京との交易を行い(金商人・
かねあきんど)奥州の繁栄に貢献している。
関の森公園
 平泉から京までの街道筋で吉次と縁ある地では、人
望があったと、記されている。 義経を京の鞍馬山から
奥州の藤原氏まで連れてゆく様は、吉川英治の「新・
平家物語」みちのくの巻に語られている。
白河市公式ホームページ
俳聖 松尾芭蕉・芭蕉庵ドッドコム