角館散策記

               第四章     恋     

             この物語はフィクションであり登場する人物などは実在の人物とは関係ありません

 家を出てから半年、すっかり快復し持ち前の器用さで、和尚の紹介でアルバイトをしながら、再出発の日を考えている毎日だった。親との連絡も取れごたごたも落ち着いて、皆元気で暮らしているようだ。とりあえず学校は休学届が出ているらしい。いつでも復学が出来るとのこと、母の手紙にこまごまと書いてあった母親からの手紙を大事にしまうと、私は待ち合わせの場所に急いだ。喜美枝さんが習い事をしている日舞の教室である。 藤間流の川藤辰之助さんの門下生で名取りを目指している、川藤流では古典は勿論、新歌謡舞踊も取り入れ若い人から年配の人まで人気があった私も勧められるままに扇子を持ち「さんさしぐれ」や「奴さん」などの踊りを習い始めた、着物も足袋や帯びまでもすべて借り物である。喜美枝さんが調達してくれたものである黒光りした板の間にきちんと正座した3人のお弟子さんが順番を待っていた。私も着替えを終え稽古場にくると喜美枝さんの稽古が終わって先生と歓談していた
 「師匠がね、今度の発表会に二人で出ないかって、言ってるんだけど」  「それでね、6月ごろ名取りになれるよう東京まで一度行かないかって
 ね、師匠そうですねと師匠に確認するよう話しかけた。師匠はかるくうなづきやさしく微笑んでいた
 「そうそう、小椋さんは今日から黒田武士を稽古するでしたね」
 さあ始めましょう。 と舞台に上がり師匠は振り付けを考え始めていた。  楽しい毎日を過ごしているといった喜美枝さん、そんな喜美枝さんとも近い将来別れなければならないのに、こんなことしていていいのだろうか、しだいに気が重くなっていく自分が情なくなっていたそんなある日、喜美枝さんが好きな場所に遊びに行く事にした。まだ薄暗い早朝抱返り神社を目指し出発した。流れを右に川原の中に「巫女石」を見ながら「回顧の滝へ向かった。
 
自転車のペダルも軽く頬を伝わるそよ風もここちよく玉川中流の深い渓谷に驚きを感じながら、自転車を走らせて成瀬温泉に到着するころには心地よい汗が頬を流れた。喜美枝さんの提案で温泉で汗を流す事にした。 湯治客が一人いたが庭の石に腰掛けて何かを見つめていた。二人きりの湯船で疲れを癒しながら深い関係になるには時間は必要なかった喜美枝さんとの楽しい日々はあっという間に過ぎていった。私にとっては夢のような楽しい毎日だが、いつまでもこのままではいけないと思いながらも、ただいたずらに時間だけが過ぎていった喜美枝さんは来年受験だそうだ東京の大学へ進学すると言う、  
 「父のようなお医者さんになって皆さんのお役にたちたい」
 といいながら瞳を輝かしていた喜美枝さんがうらやましかった。 いまだ立ち直れないでもがいでいる私には喜美枝さんは輝いてみえた西覚寺も正月を迎える準備に多忙を極めていた。 私も今までのご恩に応えるべく精一杯頑張っていた。正月3ヶ日もまたたくまに過ぎようやくいつもの、静けさが戻ってきた。喜美枝さんも受験勉強が忙しく 二人で過ごす時間がしだいに少なくなってきたある日出かけてる間に喜美枝さんから手紙が届いていた。 
 「小椋さんへ。 近いうちに東京へ行くことになりました相談したいことが  ありますので遊びにきてください」。
 とのこと、何の相談かな?と一瞬思った、 喜美枝さんとのおりおりの話しの中で、東京へ行った話をしていたから、東京を案内する相談かも知れない。など勝手に思い込み二人で楽しい旅行ができる楽しさを胸に熊谷家の門をくぐったただ広いだけの応接室に通されお手伝いさんがお茶を入れてくれた。革張りの大きな椅子と一人用の椅子が二つ向き合っている 出窓になっている窓は2間はあるだろうか、薄手のカーテンがこの部屋を明るくしていた。窓ぎわには、電子レンジが置いてあった今ではめずらしくなく、どの家庭でにでもあるが当時は高価なもので、台所にあるべきものが客間に置いてあるのである。 しばらくして、院長が客間に入ってきた    
 「おまちどう、どうかね、身体の具合は?」
 「おかげさまで、たいへん良くなりました。」 
 「さてと、話はきいていると思うが、娘の喜美枝が上京するんだが、その間、小椋君の都合を聞いておきたいと思ったのだが」。
 そらきたと思った。内心しめたと思いながらも、心臓の高鳴りを押さえ、冷静をよそうい。
 「はい。 私の都合はどうにでもなります、お世話になっている皆さんに、 お役に立つ事があればお手伝いさせて下さい」。 
 「それじゃ、遠慮なくお願いするかな」
 と言って、たばこに火をつけて、具体的な話を話し始めた。話の結果は私の期待を大きくうらぎる結果になった。 ようするに喜美枝さんに付き添って母親が一緒に行くんで、母親の仕事(病院の事務)を手伝ってほしいとのこと。一瞬がっかりしたが、喜美枝さんの匂いのするところに居られるなら、それもいいと思って快諾していた。上京する数日前から、 金田病院へ行き奥様から受け付け票の記入の方法など、受け付け事務の仕事を教わった。出発当日は、天気の良い暖かい日だった。 熊谷病院の受け付けに座っていた私に、喜美枝さんが出発の挨拶にきてくれた。 院長婦人もいつもよりせわしく動きまわっていた。駅まで見送りに行きたかったが、病院の玄関で見送る事になった。さほど、忙しくない受付でも、先生は多忙をであった。 農閑期でもあるので暇つぶしに先生の所に来る人もいた。午後からは往診を主に診療をしていたので、私もときどきお供をするときもあった 往診のときは徒歩で行くのがほとんどだが、馬橇で迎えにくる人たちやリヤカーで迎えに来る人もいたそんなある日、待合室のテレビが 「東大の紛争事件」を映し出していた。安田講堂に学生が立てこもり火炎びんを投げつけ、警官隊が安田講堂を取り巻き放水を続けていた。カルテの整理をしていた先生が、その手を休めたばこに火を点けながら、 
 「日本は戦争に負けたとはいえ、まだまだ死んじゃあいね。 これからは、 若いもんが頑張って日本を作っていかなければ、日本は本当の敗戦国  になってしまう。これからの日本をささえ続けるのは、君たちの若い力が 必要なのだ」。 
 先生はたばこの煙を天井に吹き付けると、またカルテの整理を始めた。今、日本が古い殻をやぶり、新しい時代を築こうとしている時、自分の考えている事のなんと小さいこと、考えて悩んでいないで、実行しなければ事は進まないのである。学生たちが、自分を信じ日本の将来を考え目に見えない、大きな怪物と戦っているのである。
 そんな時代の真中にいる自分のぶざまな姿を考えていた。喜美枝さんも東京から戻り、また、いつもの生活にもどった。 しばらくは東京の話で楽しく喜美枝さんはたいへん喜んでいたが、寂しさは隠せなかった。大学へ進み喜美枝さんのお手伝いができるようになって、喜美枝さんの所へ戻ってくるこを約束したので、すこしは安心したように見えた。私の出発の日は、横なぐりの雪が降っていた。駅舎のだるまストーブだけが赤々と燃えていた。
出札口の隣に大きな柱時計あって大きな振り子が、ゆっくり左右に振らしていた。     
 汽車がホームへ入ってくるまで二人とも一言も話をしなかった。いや、話しをできなかった。話すと泣き出してしまうから黙ってうつむいているだけで精一杯なのである。話せば今までこらえてきたものがいっぺんにふきだしてしまいそうな、こらえている手が少しふるえていた
 改札がはじまり
「カチカチ・・・・」とリズム良くはさみを鳴らして私たちの別れを催促していた。  
 「じゃ、手紙書くから
 「元気でね!
 たったそれだけが、最後の言葉だった。 涙にゆがんだ喜美枝の顔は今でも脳裏にやきついて忘れることはなかった。その角館駅も今は建てかえられ、綺麗な蔵造りに変身していた。駅前交番駐輪場旅館等それに、駅舎の前に観光情報を伝えるための「駅前蔵」なるものがオープンしていたにぎやかな声にふりむくと、高校生のグ ループがたのしいそうに大きな声で話しながら駅舎から、出てきたのだった。もう一つの駅舎秋田内陸線の駅舎からも高校生の集団がおりてきた。 元気でたくましい集団だ。 私の高校生活は、自宅から学校電車やバスもあっ たのですが、部活で野球をしていたので足腰の鍛錬のため、後部に大きな荷台の付いた自転車で学校までの18`を通学しました。高校球児でしたからとりあえず甲子園を目指していて県大会で優勝しましたが 東北大会では仙台育英に敗れ甲子園の夢は消えました 朝の早い時間なので一般の観光客は見当たらなかった、客待ちのタクシーも2台ほど駐車していた。私しは、カメラのシャッターを切り続けていた。       

                       

              この物語はフィクションであり登場する人物などは実在の人物とは関係ありません